羽島織物産地(羽島地区)
  岐阜県毛織工業協同組合
岐阜県毛織工業協同組合当産地の発祥は、1460年頃に美濃八丈とよばれる長物を織ったことにあるといわれている。1890年頃には美濃縞、その後、美濃結縞 等の織物が有名であった。 明治時代に入って貿易が盛んになり、輸入紡績糸が大量に使用されることにより、産業として台頭してきた。織機は古来伝統の機子から足踏織機、力織機へと進み、これにともない製織技術も向上した。大正末期から従来の着尺地の他に広幅の毛織物が振興し、全国的に有名な織物産地を形成した。 しかし、昭和12年日中戦争の勃発とともに統制経済がしかれ、企業合同、企業整備が進められた。その結果、第二次世界大戦終戦時の昭和20年に残存していたのは企業8社、織機166台のみであった。 戦後、衣料統制は撤廃され、経済の復興とともに洋装化が振興したことにより、毛織物産業が活発になったこと、昭和28年に至り、わが国において初めてのウールによる着尺地が羽島地区で織られたことなどにより、産地産業は飛躍的に発展した。 現在は、毛織婦人紳士服地、ウール着尺、毛芯を生産している。